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2/27 「オンライン・哲学対話で男女共同参画」開催しました!

1月に引き続き、「オンライン・哲学対話で男女共同参画」の第二回目です。

オンラインの利点をいかし、進行役に山口から小川泰治さん、福岡から安本志帆さん。参加者の方々は犬山市内だけでなく近隣県内、東京、熊本、新潟、福岡、徳島などいろいろなところからご参加いただきました。


最初に小川さんから「アンコンシャスバイアス」についての基礎知識&問題提起をいただきました。

ウォーミングアップに出されたのはこんな例。


父親が一人息子を連れてドライブに出かけたところ、交通事故にあい父親は即死、息子は重体。救急車で運ばれた病院の、天才外科医と言われる院長が手術室に入るとこどもを見るなりこう叫びます。「なんと、これは私の息子じゃないか!」

さて、ここでは何が起こっているでしょう。


男の人/女の人って○○だという思い込みが、アンコンシャスバイアスを形作っています。

たとえ、大半の「女性」/「男性」がそうであったとしても、すべての「女性」/「男性」がそうであるわけではない。「過度の一般化」「ステレオタイプ」は避けた方がよさそうだ。「性差」は「性別役割」を正当化するわけではない。悪意がなくても、褒めたつもりでも、ネガティブなメッセージを発しているかも。


世の中のマジョリティは、社会にある不公正や不平等にそもそもあまり気づかないでいられる立場でいることが多かったりする。一方のマイノリティは、日々様々な不平等を目の当たりにしていて、そうした問題を気にせずにはいられない立場だったりする。


人によって「気にする」「気にしない」「気にしすぎ」といった受け取り方が違う背景には何があるんだろう?

何かを「気にしすぎる」とはどういうことだろう?

そもそも「気にしすぎる」ってどういうこと?


こうした問題提起をいただいた上で、小川さん、安本さんの二つのグループに分かれて哲学対話を行いました。


気にする背景には、個人の心理的な側面と社会的な側面があるのではないか。

行政や公的立場にあるところが行うことと、個人レベルのこととは分けて考える必要があるのではないか。

人を傷つけてしまう言葉を言う側と言われる側には不均衡がある。

配慮はどこまですればいいんだろう。

少数派が多数派にあわせないといけないような雰囲気がある。

多数派は気づかないことが多いから少数派が声をあげていかないといけないというのはちょっと乱暴だ。気になってしまう人にとっては、気になっていると言うこと自体が負荷になることがある。

などなど。


それぞれの具体的な体験に基づいた話から、「気にする」こと、「気にしすぎる」こと、「気づく」ことにまつわる様々な側面が開示され、それぞれがこれまで思っていた以外のいろんな見方に触れることのできる時間だったのではないかと思います。


終ったあとのアンケートでも、たくさんの言葉を寄せていただきました。

このイベントを機に、日々起こる出来事への見方が変化したり、気にしすぎる人に対する受け取り方が変わったり、これからも折りにふれて「気にしすぎるってなんだろう?」と、考え続けていただければなと思います。


ご参加いただいた皆様、ご協力いただいた皆様、ありがとうございました!


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